independence

コンテンツになりたい人生

書きたいことがいろいろあって

内容をまとめようとしていたらもうこんな時間だ。

うーん、日付を越えてしまう。一日一更新の習慣をここで途切れさせたくはないのであった。

ごちゃごちゃ考えるのは好きだけど、考察するのって本当はそんなに好きじゃないんです。考察を読むのは好き。でも、自分でするとなると訳が違う。講釈をたれる自分と反論する自分と懐疑的な自分と純粋に信じ込む自分がいて、まさに脳内ポイズンベリー。褒めるのは好き。悪口は嫌い。批判をするとき、必ずマイナス部分にも触れなければならない。私はやっぱりそれを好きになれなかった。大学では一応世の中を斜めに見る学問をやってたんですけどね、それがまぁ肌に合わない合わない(笑)先生からも素直すぎるとか世間知らずとか、優等生的価値観を捨てろとか端的に言うとバカとか怒られてばかりでした。卒業するためには大事にしてきた価値観や物の見方を捨てなければならなかった。反抗して嫌って別のものに没頭して、書き物をして。真っ当な大学生活を送ってこなかったからこその今があるわけで。

結果として批判的精神を身に着けられず、脳内はカオスを極めています。ごちゃごちゃしてても合理的でなくても、えらそうな自分よりはこっちの自分の方が好き。言葉も思想も万能ではないから、どんなに華美な言葉で飾ったってただただ「綺麗」としか表現できないすべてのことを私は愛しているのです。日本語がめちゃくちゃでもいい、書きたいから書いてんだって開き直っていい。

 

今週のハイキューを読んで私が最初に思ったこと、「おもしろい」「すごい」「かっこいい」のどれでもなくて、「なんで?」。純粋な疑問。でもそれの中にはものすごくどろどろした不純物が混じっていて、私はすぐには口に出せなかった。「なんで、折れずに立っていられるの?」「なんで、諦めずにいられるの?」「なんで」「なんで」「なんで」驚きじゃない、尊敬でもない、これは疑問だ。問いかけだ。なんで、の中にはきっと嫉妬が含まれている。何かを目指すとき、「理由」と「目標」はどこまでもついてまわる。違うんだ。もっと短絡的な生き物でいいんだ、人間って。私は及川徹くんをとても人間らしいと思う。そして熱くて冷たい、合理的で不器用な、やじろべえのような彼は今、理由を越えた場所にいるのだと、思った。