independence

コンテンツになりたい人生

Life is beautiful

さて、不安な記事を投稿して数時間ですが、最近下書きに書いたままにしていたものを更新しておこうかと。

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小学校の卒業文集で書いた私の夢は、「小学校の先生になること」でした。
なぜ小学校の先生になりたいと思ったかというと、当時の私は「夢水清志郎事件ノートシリーズ」をはじめ、はやみねかおる先生の作品が大好きで、先生のようになりたいと思っていたからです。
はやみね先生も小学校の先生をしながら本を書かれていたので、私もそうなりたいと思いました。すごい単純な発想!でもこれって小学校の先生になりたいっていうか作家になりたいってことだよね?はい、そうです、卒業文集で掲げた夢は「小学校の先生になること」「作家になること」の二本立てでした。
我ながら欲深い子供です。てか小学校の先生になったからって作家になれるわけじゃないからね?というツッコミは置いといて。

中学校の卒業文集には「弁護士になること」と書きました。
なぜなら、小学校の先生になる夢を私は早々に諦めたからです。中学校の数学のテストで成績がた落ちして算数を教える自信がなくなりました。
だから文系を極めよう!文系で一番難しい試験を目指そう!そうだ、それは司法試験だ!こういう発想です。単純ですね~!!
中3のときに読んだ「彼氏彼女の事情」という漫画で主人公でヒロインの宮沢雪野さんに憧れていたので作中で彼女が法学部を「ローリスクでハイリターンが狙える学部」と称していたのにもかなり影響されています。私の家は正直、そんなに裕福な家ではなかったので親を楽させてあげたいという気持ちも強かったです。
中3のときの担任の先生が少し変わっているけれどとてもいい先生で、公民を教えてもらったのもいい経験だったと思います。法学部在学中より余程法律系の本読んだ(笑)「子供を生んであなたが育つなら子供が欲しいと思う」とか「天才っていうのは勉強ができる人じゃなくて人付き合いができる人のことだと思ってるけど、そういう意味であなたは間違いなく天才」とかべた褒めしてもらったことをたまに思い出します。
ここまで弁護士!法学部!な思考になっているのに当時の私は小説を書くことに勉強以上の楽しさを見出だしていて、受験勉強もそこそこに小説を書いていました。ネットで小説アップする楽しさを覚えたのもこの頃。友達に小説を読ませるようになったのもこの頃。
夢水清志郎事件ノートシリーズ」の亜衣ちゃんみたいに文芸部に入りたくて、最終的に高校を決めたし、受験中に小説書きすぎて成績落ちて親に怒られたりしたのは「耳をすませば」の雫に憧れたせいですね…(笑)
年がばれる発言ですが当時綿矢りささんが最年少で芥川賞を受賞して一大センセーションを巻き起こした時期だったので、周りから「芥川賞狙っていこう!」とか言われてかなり調子に乗ってました(笑)中学生時代はミステリーばっかり読んでたので「私は江戸川乱歩賞とる」とか言ってましたね……もう恥ずかしいこれ。

高校は卒業文集とか特になかったんですけど、法学部を目指して実際に合格したので弁護士になると公言していたはず。
ただ、高校での成績は至って普通で。進学校の進学クラスだから周りめちゃくちゃ頭のいいんですよね。進学クラスのしんがりですがり付いてるのに東大模試とか受けるのほんとつらかったです(笑)試験問題との相性にものすごく成績が左右されるので基本をちゃんとやる試験だとやる気出なくて、自由度の高い試験になるとぐんと点数伸びました。
一も二もなく文芸部に入ったので堂々と小説を書いてました。勉強時間より執筆時間の方が長かったのはこの頃も同じです。
一番勉強してた頃は課題と予習で大体20時から0時くらいまで勉強して、そこから朝5時まで小説書いてましたね。平日ほぼ寝てないのに授業中ちゃんと起きてたのほんとに偉いと思う。その代わり週末すごい寝てました。運動部じゃなくてほんとによかった……。
現社や倫理がとても好きだったので担任の先生におすすめしてもらって本を読みました。特に覚えてるのはニーチェ。高2病を擽りますよね!実定法より基礎法に興味があったのはこの頃からですね。
実はちょっとだけ迷って、大阪芸大の文芸学科の資料を取り寄せたことがあったのですが、親に見つかってものすごく怒られたので封印しました。でも正直志望校に落ちたら文学部行こうと思ってました。大学受験に関しては誰にも言わなかったけど私、気付かぬうちにプレッシャーを感じていたんだなぁと思います。
本が好きだから、作家になりたいから、文学部もしくは文芸学科に進むと言える子がとても羨ましかった。私には、言えませんでした。法学部に進むつもりだと言ったら家族はとても喜んでくれて、さらに有名大学を目指しているともっと応援してくれて、小説が書きたいから勉強したいんだと言えない空気になっていって、いやいや私が今まで憧れてきた人は文芸学科出身だったか?当時はまって読んだ伊坂幸太郎さんだって法学部だし、文学しかやっていない人はきっと視野も狭いし法学部でリーガルマインドを身につけたら視野の広い小説が書けるようになるんだから、あの子達より私の方が将来のこと考えてるんだって、理論武装してました。
実際、有り難いことに憧れの学校に合格して自分の選んだ道が正しいんだと確信を強めていきました。

大学在学中は私にとっては挫折の歴史です。
そうして選んできた法学部という場所に対するギャップ、特有のドライさシニカルさ、すべてが合わなかったし法学を勉強するのはほんとにつらかったです。拙い日本語で算数をするような感覚でした。あ+い=う、みたいな。
周りに優秀な人がいる環境は高校も同じだったとはいえ、大学はやっぱり桁が違いました。そうなるとさ、私が頑張って優等生しなくていいんだって気持ちになって余計に勉強したくなくなる、と。
弁護士の夢は大学1年間で早々に諦めました。教員免許もカリキュラムの関係で諦めました。
でもそんなときに私は、「そうだ、私は文章を書きたかったんだ」と逃げ道を作ってしまうのです。
出版社に入ろうと思いました。本を作る仕事をしようと。某編集局でアルバイトをしていたので少しは就職に有利かと思ったんですが全くそんなこともなく。面接はそこそこ進むとはいえ、内定には遠く。

同級生に遅れること2年、社会に出た私は中小企業の一般職として働くことになりました。

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小学校の先生になりたいと思っていた頃も、弁護士を目指していた頃も、編集者を目指していた頃も、私はこんな私を全く想像もしていませんでした。バリバリ働いて、毎日飛び回って残業でへとへとになって帰る社畜生活を送るんだろうなぁと。
まさか制服を着て、女性だけに割り振られるお茶当番をこなして、定時に会社を出る生活を送るとは、思っていませんでした。
いや、この生き方がいいとか悪いとかじゃなくてですね。毎日へとへとのバリキャリの中には、私みたいなライフスタイルに憧れる方もきっといると思うんです。しかしその一方で蔑まれることもあると思うけど。

何者でもない「若い(うちにまだギリ入る)女の子」の「私」が「誰にでもできる」「没個性的な」仕事をして、ただ日々生活するためだけに毎日会社に行って事務をする。
なんかもう、それを考えるだけで一気に老け込みそう。「私」という存在が死んでしまいそう。
何度も言うけどそれが悪いとは思わないんです。ただ、私にはどうしてもしんどくて、会社で笑うこともないし仕事以外の話をすることもほとんどなくて、余計に気が滅入る日々なのです。
実を言うと、最近面接に落ちた会社は出版社だったので本当にショックでした。最後のチャンスだと思って臨みました。結局冴えないOLの私から抜け出すことはできないのかなと、悲しくなりました。
華やかに見えて大変な仕事だと、ちゃんとわかっています。面接でも再三大変だし厳しいと言われました。でももし夢が叶うのなら認めてもらえるように努力しますと言ったつもりでした。だってやってみないと本当のところはわからないでしょう。
一方で自分に逃げ癖があるのも理解してる。結局今までの人生、私は何も成し遂げてはこなかった。逃げてばかりだったと思うから。

だからこそ、私は変わりたいってようやく思えるようになったのです。
変わるのが怖くて。変わらないねと周りにかけてもらえる声が優しくて、それに甘えていて。
小野さんがフリーになり、私も今の会社に就職して3年経って、さらに行きたかった会社に落ちて、ようやく。覚悟が決まった気がします。そういう意味でも元本命の貴社には感謝ですね。本当に私がやりたいことを考えさせてくれる機会を与えていただきました。ありがとうございました。
動かなきゃ。やりたいことがあるなら、昔から変わらない夢があるなら。面白いと思ったことに飛び込んでみなきゃ。
新しいことを始めるのに年は関係ないですよね。がんばります。

手始めに、といっては何ですが。
最近ふとネットの海をさ迷っていて見つけた面白い本屋さんに、勇気を出して行ってみようと思います。
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天狼院書店様
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正直に言うと、今の私にとってはあんなに好きだった本屋さんも本も、少し怖くて居心地の悪いものです。それを一旦リセットしたい。本当に好きなものを好きだと言いたい。もう一度好きだと言えるように行くのです。
ライディングゼミに行ってみたいんだけど、とりあえず雰囲気を探りにお店に……。