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コンテンツになりたい人生

病的な私たち

今日は自分語りの日に。今週一週間ものすごくしんどくて、でもしんどいとは口が避けても言えないぎこちない一週間でした。

善悪の話をしましょう。善は白で、悪は黒です。でも白に見えていたものは光の加減でそう見えていただけで本当は黒でした。あるいは、黒に見えていたそれは色の濃いネイビーだったりもしました。見る角度を変えれば色が変わるのは尤もな話で、人間だってそうなんだと私は思います。誰かにとって白であることが、別の誰かの白であるとは限らない。つまり、すべての事象は潜在的にグレーであると私は思って生きているのです。
そんなふうに考えられるようになったのは、おそらく私が精神的に追い詰められているときに自分のルールに囚われすぎて、外の世界に黒が一つあるだけですべての白がひっくり返ってしまうような、そんな被害妄想に取りつかれていたからなんだと思います。今、私の周りにいる精神的に追い詰められている人は、大抵あの頃の私と同じように1がダメになると10ダメになると勝手に自分ルールを作って、自らを取り締まっています。1ができない自分を責め、1ができない他人を嫌い、何も受け入れられなくなっていく人の多いこと。悪いことだと思いません。むしろ、経験上仕方のないことだと思います。私は意識的に自分ルールにグレーを作ることで、その状態から脱することができました。それは私がポジティブで強い人間だったからでもなんでもなく、頭で考えて心身をコントロールしようと決めたからです。毎日日記を書いていました。この日記のような自分の思考をがむしゃらにぶつけるだけの日もたくさんありました。そしたら、自分のこと嫌いだって言ってるけど、こんなに毎日自分のことを書いてる私ってむしろ私のこと大好きだよね!?って気づいたことがはじまりかも。はじめは怖かったし不安だったけど、なんとかできました。
でもでも、きっと私はまだ病的なほどに自分のテリトリーを死守していたくて、このまま誰にも踏み込ませたくないんだと思う。
私はきれい好きとは言えません。けれど、自分の領域に誰かの手を加えさせたくありません。たとえ親切とご厚意でやってくださってことだとしても、無理なものは無理です。綺麗に均す、整理するのは支配権を持つ者の特権だと思うんです。私はなけなしの支配権を誰にも譲渡したくない。協調性がないのとは違います。たとえ他の人の仕事でも私は頼まれたらやりますけど、私の仕事は私の仕事、触らないでいてほしいのです。
この線引きの仕方も、苦しいくらい昔の感覚で。なにもかも許せなかった私の感覚です。早く忘れてしまいたいのに。

本当にイライラしてすごい泣きそうでした。でも泣かなかったからえらい!
考え方一つだなと思います。それでも、譲れない境界線をざくざく侵されて、しんどくてしんどくてたまらなかったんです。わかってもらえないと思うけど、私が悪いのだと思うけど。悲しい。つらい。しんどい。
しんどさから逃げるために転職したいわけじゃない。でも逃げてるんだと思うから、行き場がどんどんなくなっていく。昔と同じ私には戻っちゃだめだ。