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コンテンツになりたい人生

悩み事

ちょこちょこと動いています。動いてみればみるほど考え方が違ってきたり、自分のことがわかったようなわからないままのような、はたまたわかった気でいたことがもっとわからなくなったような、そんな感覚に陥ります。やれると思ったことが実は難しかったり、やりたいと思っていたはずのことが嫌になっていたり。価値観って環境にかなり左右されるもので、私は何にも染まらずに生きてこられたと思っていたのですがそんなこともなく、この3年の間に大事なものが変わってきたのかなぁ。いいことでもあるし、悲しいことでもある。ずっと望んでいたキャリアアップも自分に役目が務まるか、そこまで仕事に入れ込んで向上心を持ち続けられるのか、正直あまり自信がない。というより、それがそんなに大事なことなのかと首をかしげたくなるわけで、バリバリ働きたい!お金を稼ぎたい!トップにのぼりつめたい!仕事人間になりたい!みたいな戦国武将さながらの野心は、現状あるとは言えない。

たとえば、白黒でパッキリ分かれることの方が珍しいと思うから、「絶対」より「相対」が好きで。
たとえば、源氏でも平家でもなくいつだってグレーな存在でいたいと思っていて。
たとえば、不器用だから自分が決めて努力したことってほとんどうまくいかなくて、偶然降ってきた偶然や運命がいつだって私を動かしてくれて。
たとえば、手足になって動くのは苦手で。
要領よしの甘え上手になりたかった。実際、甘え上手に少しはなれたのかなと思います。自分の能力値の低さにも関わらずいろいろな人から支援されて支えられて立っていることにも自覚的です。でもそれを誇るのと開き直るのは違う問題で、愛されるために、選ばれるために私も人に何かを与えられる存在でなければならないと何度も思ったりするのです。何もできないわけじゃないけど、これといって私でなければならない理由はない。就活において私が失敗をし続けた理由ってまさにそういうところにあって、自己肯定感の薄さがつまるところ自分の首を絞めてきたのかなぁ。
人より秀でていることがなくて代替のきく存在でしかなかった私が、この先どこにいけるのかなぁ。やってみれば意外とできるものだと思うけど、何より人を作るものは環境なんだと思っているけど、その根拠がない。根拠のない自信では就活を勝ち進めない。
受験戦争と就活の功罪は大きいよ。価値観が凝り固まってしまう。大人にはなったかもしれないけど、受験と就活を経た結果私は小さくなってしまった気がする。何をするにも精神的なブロックがかかる。
正直に生きたいのに馬鹿正直に生きると社会に適合できないし、真面目に生きようとすればするほど生きにくくなる。でも妥協は嫌いなの。諦める自分を肯定できないの。生きづらくてもいいから苦しんでもいいから、最上を求めていたいの。のらりくらりと生きるのが苦手。あぁもう、こんなだから日々頭痛と耳鳴りと不整脈に苦しんでるんですわ。

久々に闇落ちしてる記事だなぁ。手に入れたいのは称賛と成功。でも努力はしたくない。なのに、努力しないと気持ち悪い。自己矛盾のエンドレスループだ。