independence

コンテンツになりたい人生

SHIGATSU NO OWARI

今日で四月終わりです!つまり今日で今年の1/3終わりです!怖いですね~早いですね~!!!!毎年こんなこと言ってる!!! 
今年は1月に逆浦島状態だったので例年より幾分かましですけど、それでもやっぱり早いなと思ってしまいますね。
GWは普通に暦通りお仕事です!10連休?なにそれおいしいの?
まぁでもただでさえ月初が忙しいのに連休でスケジュールずれるのも面倒なので仕事して山積みのタスク崩す方がだいぶ楽です。気分的に。

ほんとに無為な日記を書いてますね!笑
たまにはこういうのもいいだろう!!
今日は同窓会と冠のつかないプチ同窓会なので今から楽しみ。せっかくのGWになんやかんや遠方から帰ってきてくれる連中のことが私は大好きです。見送る側をずっとやってきて、果たしていつか私が見送られる側に回る日は来るのかなと思ったりもするんですけど。今のところその予定もないし私は寂しいばっかりだなぁ…。
センチメンタルになってしまった!
始まったらどうせばかな話しかしないんだけど!

いろいろ考えてるとぐるぐるしてくるので、あまり考えないようにしてますがひとりでいるとだめですね。
書を捨てて町に出よう!

EverythingはChangingするのか?

人は変わるのか果たして。
私は幼い頃からずっとずーっと本が好きで、それこそ小中高と本屋さんは勿論、図書室や地元の図書館、さらに隣の市の図書館に通いつめるほど本が好きで、趣味は読書と言い続けてきて、本好きが高じて小説を書くようになって、人に見せて回るようにもなって。
でも、大学に入ってからある人にかけられた一言で二十年であたため、育ててきた私のささやかな誇りとアイデンティティは揺らぎ、崩れてしまったのでした。私の"好き"は、そんな脆いものでもありました。
よくTwitterでも人に批判されたくらいで揺らぐ"好き"なんてほんとの"好き"じゃない、みたいなツイートがたくさんRTされてたりするんですけど、私はそれに懐疑的です。脆かろうが儚かろうが、あの頃の私は純粋に本が好きだったし、愛してもいた。無粋な言葉に傷つけられる感性を非難される覚えはないのです。

大学に入って以降、本が好きと言うと、月に何冊読むのかとか好きな作家さんの作品は全部網羅していて当たり前だという前提のもと何の作品が一番好きかとか、そういう話になりがちで、「そんなことも知らないの」とか「好きなのに読んでないのはおかしい」とかそういうニュアンスの言葉がかけられるだけで私は本当に本が好きだと言えるのだろうかとふにゃふにゃするようになりました。文学少女を気取れなくてすいません、へへへと笑うようになりました。
人前で本を読んでいると「本とか読むんですか」「意外」と言われたりして、そのたびに教養がないとばかにされているような屈辱感を味わいつつ「へえ、手前のような馬鹿でも本くらい読みやす」と応えるようになりました。心の中では図書館と本屋に住んでた元文学少女なめんなよと思っていました。

そして極めつけに信頼していたある人からのあまりにきつい言葉。
「あなた、本読んだことあるの?その文章で?就職なんか無理よ。あなたみたいな人はこうやって信頼を失っていくのね。失った信頼は取り戻せないのよ」
私はきっと、その場では泣かなかったのです。言われた言葉の意味が咄嗟に理解できなくて。でもあの瞬間、何かが確かに壊れてしまったのだと思います。
読むことが、書くことが大好きだったのに、メールを打つことさえ困難になったあの瞬間。アイデンティティを否定されただけでなく、私は拙い文章を書くことで信頼を裏切ってしまったのだと強く感じました。
それまではどんなにばかにされて屈辱を味わったところで内心で何くそと対抗心を燃やしていられたのですが、そのときは本当に無理でした。私がばかにされるならまだいい。私は彼女の信頼を裏切ってしまったのですから。
好きとか嫌いとかもうわからない、単に怖くなりました。読むのも、書くのも。お小遣いなんて貰っていなかったから必死でお年玉を貯めて本を買って、図書館に電車で通って。作文を書いて賞を貰って、小説で賞を貰って、大会に出て。そんな日々があの一言ですべて否定され、あまつさえ信頼を裏切るとまで言われてしまったらもう何もできないじゃないですか。
それでも人は変われないもので、私はその一ヶ月後にはまた小説を書くようになるのですが、それまではすらすらと浮かんでいた言葉がぴたりと出てこなくなりました。というより、声が聞こえなくなったと言うか。私は書くときに自分の声で朗読されるのを書き写していくタイプだったのですが、今は頭の中の私が辞書を引くように言葉を探すんです。この感覚、今でも慣れません。慎重に、震える手で辞書を引く感覚。それでも書かずにいられないのは何故なんでしょうね?
さらにその数年後、私は懲りずに書店で働くことになるのですが、そこでの人間関係に疲れ、あっさり退職。大好きだった書店にも足を運ぶのが怖くなりました。
本がいっぱいある場所に行くと足がすくんで動悸がして、冷や汗が出てくる。本を読むと情報の濁流に飲み込まれるような恐怖感に襲われる。書こうとすれば違和感だらけの辞書を震える手で引くことになる。
それでも私は本が"好き"で、書くことが"好き"だと言い続けました。

しかし。今、認めましょう。
私と本の関係は"妄執"であり、"依存"であり、あたたかくて純粋な"好き"から形を変えてしまったのだと。
本が好きな文学青年、文学少女の皆さんに私は憎悪の気持ちすら抱いている。私もあなた方のように本が好きだと胸を張って言える自分でいたかった。深読みできない馬鹿な読者でいいから、下手くそな書き手でいいから、それでも好きだと笑っていたかった。本と二人だけの世界に住んでいればよかったのに、私はそれをいつのまにかコミュニケーションツールにしてしまっていたのだ。本を介して誰かと接することで、たくさんの傷を負ってしまったわけです。本は何も悪くないのに、本に纏わる思い出を辿るだけで今も古傷が痛むくらい。
大好きだったものを嫌いになるのは、たぶん想像以上に、しんどいです。

いや、嫌いになってしまえばいっそ楽なのかもしれない。人は変わる生き物のくせに、ほんとに手放せないものはいつまでも手の中にあるのです。膿を潰しても芯の出てこないニキビみたいに。何度も何度も繰り返し、しんどさを味わって、傷ついて。
でもこの間行きたかった出版社に落ちて、めちゃくちゃ落ち込んだりもしたけれど、なんとなく私はすっきりしました。「書くのは好き?」「読むのは好き?」と聞かれる度に「はい」と答えるのがしんどかった。無理している気がしました。やりたかった仕事だし、夢だったし、本当に行きたかったけど、その分怖くもありました。また同じことになるんじゃないかって。
でも、わくわくしたのは本当。本を読んで新しいことを知って文化に触れて知識を深めて自分の中の物差しを増やして、いい文章を書いて食っていくこと。こんな幸せ、他にないと思いました。
"好き"じゃないことを認めたら、途端に愛しくてたまらなくて。

"もう一度好きになりたい"ーー嫌いになったと認めたからこそ、そう思えるようになりました。
本を読んで興奮して泣きたい。
文章を書いて興奮させて泣かせたい。
コミュニケーションツールでもいいじゃない。私がかつて愛した本という男は何にだってその有り様を変えられるすごい奴だったから。
"好き"になれるかどうかはこれから次第。夢があると思いません?人は変われるんです。大事な根っこの部分は変わらなくても膿は弾けるし、赤みは引くし、細胞は新陳代謝し続けるものなんです。

もう一度好きになるための戦い。勝ち負けのない戦いのゴングが鳴る。



というわけで。

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行ってきました!
ちょっと"変"な本屋さん、天狼院書店。本への愛しかない場所。ネットで情報を漁り、こここそが私が憎悪してやまない文学青年文学少女たちの場所だと思いました。足を踏み入れるまでにものすごく勇気が要りました。けれど一歩中に入ってみたら落ち着くの何のって(笑)
初入店のくせにえらく寛いでて自分の部屋みたいに自由にしてました。ニッチな本しかないわけでもなく、メジャーどころしかないわけでもなく。BLもありました。雑多で自由。イベントが行われていたために奥のスペースには行けませんでしたが、これは奥の本棚が気になってしゃあない。
たぶん一度足を踏み入れたら次回からはもっと楽になるので勇気を出して入ってみてよかったかな、と。ほんとはゼミにも入りたいんですが、FBが嫌いなのと資金不足でどうしたものか(笑)少し考えてみようと思います。とりあえずGWのイベントには行ってみるつもりです。
自信をなくしたただの冴えないOLでしかない私がもう一度胸を張って笑うための戦い。自己満足でも自己完結でもいい。剣をとってみようと思います。

Life is beautiful

さて、不安な記事を投稿して数時間ですが、最近下書きに書いたままにしていたものを更新しておこうかと。

***

小学校の卒業文集で書いた私の夢は、「小学校の先生になること」でした。
なぜ小学校の先生になりたいと思ったかというと、当時の私は「夢水清志郎事件ノートシリーズ」をはじめ、はやみねかおる先生の作品が大好きで、先生のようになりたいと思っていたからです。
はやみね先生も小学校の先生をしながら本を書かれていたので、私もそうなりたいと思いました。すごい単純な発想!でもこれって小学校の先生になりたいっていうか作家になりたいってことだよね?はい、そうです、卒業文集で掲げた夢は「小学校の先生になること」「作家になること」の二本立てでした。
我ながら欲深い子供です。てか小学校の先生になったからって作家になれるわけじゃないからね?というツッコミは置いといて。

中学校の卒業文集には「弁護士になること」と書きました。
なぜなら、小学校の先生になる夢を私は早々に諦めたからです。中学校の数学のテストで成績がた落ちして算数を教える自信がなくなりました。
だから文系を極めよう!文系で一番難しい試験を目指そう!そうだ、それは司法試験だ!こういう発想です。単純ですね~!!
中3のときに読んだ「彼氏彼女の事情」という漫画で主人公でヒロインの宮沢雪野さんに憧れていたので作中で彼女が法学部を「ローリスクでハイリターンが狙える学部」と称していたのにもかなり影響されています。私の家は正直、そんなに裕福な家ではなかったので親を楽させてあげたいという気持ちも強かったです。
中3のときの担任の先生が少し変わっているけれどとてもいい先生で、公民を教えてもらったのもいい経験だったと思います。法学部在学中より余程法律系の本読んだ(笑)「子供を生んであなたが育つなら子供が欲しいと思う」とか「天才っていうのは勉強ができる人じゃなくて人付き合いができる人のことだと思ってるけど、そういう意味であなたは間違いなく天才」とかべた褒めしてもらったことをたまに思い出します。
ここまで弁護士!法学部!な思考になっているのに当時の私は小説を書くことに勉強以上の楽しさを見出だしていて、受験勉強もそこそこに小説を書いていました。ネットで小説アップする楽しさを覚えたのもこの頃。友達に小説を読ませるようになったのもこの頃。
夢水清志郎事件ノートシリーズ」の亜衣ちゃんみたいに文芸部に入りたくて、最終的に高校を決めたし、受験中に小説書きすぎて成績落ちて親に怒られたりしたのは「耳をすませば」の雫に憧れたせいですね…(笑)
年がばれる発言ですが当時綿矢りささんが最年少で芥川賞を受賞して一大センセーションを巻き起こした時期だったので、周りから「芥川賞狙っていこう!」とか言われてかなり調子に乗ってました(笑)中学生時代はミステリーばっかり読んでたので「私は江戸川乱歩賞とる」とか言ってましたね……もう恥ずかしいこれ。

高校は卒業文集とか特になかったんですけど、法学部を目指して実際に合格したので弁護士になると公言していたはず。
ただ、高校での成績は至って普通で。進学校の進学クラスだから周りめちゃくちゃ頭のいいんですよね。進学クラスのしんがりですがり付いてるのに東大模試とか受けるのほんとつらかったです(笑)試験問題との相性にものすごく成績が左右されるので基本をちゃんとやる試験だとやる気出なくて、自由度の高い試験になるとぐんと点数伸びました。
一も二もなく文芸部に入ったので堂々と小説を書いてました。勉強時間より執筆時間の方が長かったのはこの頃も同じです。
一番勉強してた頃は課題と予習で大体20時から0時くらいまで勉強して、そこから朝5時まで小説書いてましたね。平日ほぼ寝てないのに授業中ちゃんと起きてたのほんとに偉いと思う。その代わり週末すごい寝てました。運動部じゃなくてほんとによかった……。
現社や倫理がとても好きだったので担任の先生におすすめしてもらって本を読みました。特に覚えてるのはニーチェ。高2病を擽りますよね!実定法より基礎法に興味があったのはこの頃からですね。
実はちょっとだけ迷って、大阪芸大の文芸学科の資料を取り寄せたことがあったのですが、親に見つかってものすごく怒られたので封印しました。でも正直志望校に落ちたら文学部行こうと思ってました。大学受験に関しては誰にも言わなかったけど私、気付かぬうちにプレッシャーを感じていたんだなぁと思います。
本が好きだから、作家になりたいから、文学部もしくは文芸学科に進むと言える子がとても羨ましかった。私には、言えませんでした。法学部に進むつもりだと言ったら家族はとても喜んでくれて、さらに有名大学を目指しているともっと応援してくれて、小説が書きたいから勉強したいんだと言えない空気になっていって、いやいや私が今まで憧れてきた人は文芸学科出身だったか?当時はまって読んだ伊坂幸太郎さんだって法学部だし、文学しかやっていない人はきっと視野も狭いし法学部でリーガルマインドを身につけたら視野の広い小説が書けるようになるんだから、あの子達より私の方が将来のこと考えてるんだって、理論武装してました。
実際、有り難いことに憧れの学校に合格して自分の選んだ道が正しいんだと確信を強めていきました。

大学在学中は私にとっては挫折の歴史です。
そうして選んできた法学部という場所に対するギャップ、特有のドライさシニカルさ、すべてが合わなかったし法学を勉強するのはほんとにつらかったです。拙い日本語で算数をするような感覚でした。あ+い=う、みたいな。
周りに優秀な人がいる環境は高校も同じだったとはいえ、大学はやっぱり桁が違いました。そうなるとさ、私が頑張って優等生しなくていいんだって気持ちになって余計に勉強したくなくなる、と。
弁護士の夢は大学1年間で早々に諦めました。教員免許もカリキュラムの関係で諦めました。
でもそんなときに私は、「そうだ、私は文章を書きたかったんだ」と逃げ道を作ってしまうのです。
出版社に入ろうと思いました。本を作る仕事をしようと。某編集局でアルバイトをしていたので少しは就職に有利かと思ったんですが全くそんなこともなく。面接はそこそこ進むとはいえ、内定には遠く。

同級生に遅れること2年、社会に出た私は中小企業の一般職として働くことになりました。

***

小学校の先生になりたいと思っていた頃も、弁護士を目指していた頃も、編集者を目指していた頃も、私はこんな私を全く想像もしていませんでした。バリバリ働いて、毎日飛び回って残業でへとへとになって帰る社畜生活を送るんだろうなぁと。
まさか制服を着て、女性だけに割り振られるお茶当番をこなして、定時に会社を出る生活を送るとは、思っていませんでした。
いや、この生き方がいいとか悪いとかじゃなくてですね。毎日へとへとのバリキャリの中には、私みたいなライフスタイルに憧れる方もきっといると思うんです。しかしその一方で蔑まれることもあると思うけど。

何者でもない「若い(うちにまだギリ入る)女の子」の「私」が「誰にでもできる」「没個性的な」仕事をして、ただ日々生活するためだけに毎日会社に行って事務をする。
なんかもう、それを考えるだけで一気に老け込みそう。「私」という存在が死んでしまいそう。
何度も言うけどそれが悪いとは思わないんです。ただ、私にはどうしてもしんどくて、会社で笑うこともないし仕事以外の話をすることもほとんどなくて、余計に気が滅入る日々なのです。
実を言うと、最近面接に落ちた会社は出版社だったので本当にショックでした。最後のチャンスだと思って臨みました。結局冴えないOLの私から抜け出すことはできないのかなと、悲しくなりました。
華やかに見えて大変な仕事だと、ちゃんとわかっています。面接でも再三大変だし厳しいと言われました。でももし夢が叶うのなら認めてもらえるように努力しますと言ったつもりでした。だってやってみないと本当のところはわからないでしょう。
一方で自分に逃げ癖があるのも理解してる。結局今までの人生、私は何も成し遂げてはこなかった。逃げてばかりだったと思うから。

だからこそ、私は変わりたいってようやく思えるようになったのです。
変わるのが怖くて。変わらないねと周りにかけてもらえる声が優しくて、それに甘えていて。
小野さんがフリーになり、私も今の会社に就職して3年経って、さらに行きたかった会社に落ちて、ようやく。覚悟が決まった気がします。そういう意味でも元本命の貴社には感謝ですね。本当に私がやりたいことを考えさせてくれる機会を与えていただきました。ありがとうございました。
動かなきゃ。やりたいことがあるなら、昔から変わらない夢があるなら。面白いと思ったことに飛び込んでみなきゃ。
新しいことを始めるのに年は関係ないですよね。がんばります。

手始めに、といっては何ですが。
最近ふとネットの海をさ迷っていて見つけた面白い本屋さんに、勇気を出して行ってみようと思います。
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天狼院書店様
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正直に言うと、今の私にとってはあんなに好きだった本屋さんも本も、少し怖くて居心地の悪いものです。それを一旦リセットしたい。本当に好きなものを好きだと言いたい。もう一度好きだと言えるように行くのです。
ライディングゼミに行ってみたいんだけど、とりあえず雰囲気を探りにお店に……。

ご安全に

最初に警報が鳴ったとき、私はお風呂に入っていて、半身浴の真っ最中でした。ヘアパックや半身浴をしているときはお風呂のドアの外に携帯を置いて、お気に入りのプレイリストを流しっぱなしにしながら歌ったりマッサージしたりで時間を潰すのが常なのですが、突然鳴り響いた地震速報にお恥ずかしながらまずは思考停止。からの、何度か地震速報は聞いたこともあるけれど、いずれの速報時も「おー揺れてる揺れてる」と感じる以上のことはなく、まぁ今回もそのパターンかなと余裕でお風呂の中にいました。実際に揺れが来て、今までにない強めの震動を感じたけれどそんな強くもないし、とりあえず半身浴は中断してお風呂出てみるかなと。今考えるとかなり呑気です。
部屋の中はぐちゃぐちゃに…なんてこともなく、とりあえずいつもの習慣でLINEを開くとものすごい未読数。気になってTwitterを開くと、熊本で震度7?ど、どういうことなの……そんなにひどいのこの地震……てか熊本に住んでいる祖父母や叔父は大丈夫なの……。
固定電話のある実家経由で無事を確認して、遠方の友人からの安否確認に応答していると、まもなく余震が。1、2時間は揺れが続いたかな。津波の心配がなくてほんとによかったです。あと、高いところに物がない独り暮らしの部屋でよかったなと思いました。部屋にいても怖くないしそれどころか一番安全だと思えるので。さらに言うと昨今のプチ断捨離で本の数が減っているのが幸いしましたね。

と、木曜の夜から深夜にかけての私はこんな感じ。金曜日深夜に突然起きた大きな揺れに一気に不安募りました。
当時私は友人と6月の遠征の予定を立てていて、また揺れるとは夢にも思っていませんでした。昼の間は全然揺れを感じなかったもので。断続的に大きな揺れが続き、やっと、「あ、これはもしかしたらやばい奴なのでは……?」と思い始めました。

実感がわかないのは私のいる場所がまだ日常を保っているからなのか、家族の無事な声を聞いて安心しているからなのか、これが正常性バイアスってやつなのか、判別することにあまり意味はないと思うからしませんが、……これはもう既に"震災"なんですよね。
あまり不安を募らせるのも良くないと思うので今日は洗濯して掃除して昼寝して、普通の土曜日を過ごしました。雨が降りそうだったから出掛けるのはやめて、体を休めることに注力して。
ただ昨日、眠りにつく前、最低限の荷物をリュックに詰めました。いつでも飛び出せるように。
被災地の皆さまにおかれましては、不安な時間をお過ごしの事と思います。ライフラインの断絶と食糧不足は私が考えているよりきっと深刻なのでしょうね。一秒でも一瞬でも早く、皆さまが安心してゆっくり日常を過ごせるようになればいいなと。月並みなことしか言えませんが、ただただ、その一言に尽きます。
まずは、ご安全に。それが一番です。どうかご無事で。

毎年学年を新たにするような四月にしたい

年度明けましておめでとうございます!絶賛本決算真っ最中です。いかがお過ごしでしょうか。

さて、私はというと、年度始まり早々本命の試験に落ちまして。いや、今度はほんとのほんとに落ちまして。ずっと目指していた仕事だったしあと一歩のところでだめだったのが本当に悔しくて、なんで私の夢はいつも叶わないんだろう、こんな人生に意味なんてあるのかと絶望しきっていました。就活逸話は語れば腐るほどにありますが、今回は本気度が新卒含め一番高かったし手応えもあったしで笑い話にもなりません…。私がよく喋ったと思う面接って大体失敗しているので少し口数少なく、喋り足りなかったなと思うくらいでいいんだなと再認識。
実際何が悪かったのかわかりませんけど、わからないからこそ悔しいししんどいですね。新卒の頃何度も感じていたしんどさですが、この年になってそれを感じるともう戻れない感じがあって、諦めなさいって神様に言われているような。
そんなバカな。好きなことを好きって言って、やりたいことをやりたいって言って、失敗するかもしれなくてめちゃくちゃ不安で怖くても挑戦して、何が悪い!
好きなことをしていたら評価もお金も後からついてくるものだ。
私は絶対に夢を叶える人間だから、常に今が最高だと笑って胸を張って進むんだ。

さて、新しい年度の始まりです。今年度の間には必ず決着をつけると決めているので、ここで折れるわけにはいかないのです。
毎日笑って楽しく生きる!私は私のまま生きる!

春の桜雨

いや、人生何が起きるかわからないもんですね!
明日から新しい年度が始まります。変化の季節は好きじゃなかったんですけど、私だって変わりたい。
新しい私で新しい年度を迎えたいと思います。
ここがチャンス、ここが正念場。
"everything is changing."なんて言葉もありますけど。

それでもやっぱり私は、「期待は裏切る、予想は超える」私でいたいなと思うのです。

君とならしてみてもいいよ

ものすごく行きたいって思えてわたしなりにがんばった会社の面接に落ちまして。何かを選んでものすごくがんばったところで選んでもらえなければ意味がないじゃない、なんて思ってみたりして。晴れ空を手に入れるようにやりたいことをやりたいだけなんです。どうしてそれがうまくいかないんだろう、望んだものはすべて手に入るわけじゃないんだって、思うのが本当に嫌で。多くを望んでるわけじゃないのに、たったひとつだけでいいのに、たったひとつが手に入らない。無理してみてもいいよって思えるくらい大切なもの。諦めろと言われてもダメなんです。執着してしまう…。

というわけで、断捨離を始めようと思います。
この唐突な思いつき!!今までひたすら嫌悪していた断捨離ですが、もうあれです、転んでも絶対ただでは起きてやらないんです!!それがわたし!!It's me!!!!!!!!
春なので、いい時期だし少し身辺整理を始めたいと思います。古いものが溢れていたら新しいものが入ってこないといいますしね、やってみます!!!気分を変えたい!!自分を変えたい!!!